豊受神社の若衆
豊受神社には氏子の地区を東西に分けて、東組連合と西組若衆という祭禮の団体があります。
4年に一度行われる例大祭の時に、神社神輿の渡御や運営を任されている神社の団体で、昭和49年(1974年)に浦安の大祭が再開した年に結成されました。
神輿を担ぐ事が目的の団体ではなく、豊受神社の祭禮の準備運営に関わる有志で構成されており、祭禮当日は、豊受神社から借用する宮半纏を着用して運営に当たります。
そのため、この「宮半纏」という単語は、半纏そのものを指す場合もあれば、半纏を纏う運営スタッフを指す場合もあります。
浦安の祭が一時中断することになった昭和36年(1961年)の大祭まで、猫実地区には東組・西組という組織はありませんでした。
その頃は町内に「若い衆宿(わかいしゅうやど)」という青年団のような組織がいくつもあり、この組織単位で祭の準備を行っていました。
神輿渡御も豊受神社の地区(自治区で言う5〜8区)の若い衆宿ごとに神輿を担いで、次の若い衆宿に受け渡していく町会神輿渡しのスタイルでした。当時は町が小さく担ぎ手も少ないために、途中で神輿を置いて帰ってしまうような事もあったそうです。
昭和49年(1974年)に浦安の祭が復活した時には若い衆宿はなくなっていたため、近所や有志で構成される祭の会があちこちに出来ていきました。
これに併せて神社神輿の運行や警備にあたる組織として、現在の新中通りを境に東組と西組が誕生し、東組が浦安の自治区でいう5・6区を受け持ち、西組若衆は7・8区を受け持つ形になりました。
「東組」、「西組連合」という名称でスタートしましたが、現在は、「東組連合」、「西組若衆」という名称に変わっています。
活動目的は、神社神輿の渡御管理や運営が主で、祭禮を迎えるための神酒所の設営や祭禮当日の渡御運行管理、食事の準備などです。
その他には、神社の催しへの協力、初詣や七五三などにも協力しています。
若衆として参加してみたいと思った方は、宮半纏(運営スタッフ)に気軽に声をかけてください。
*若い衆宿とは
現在でいう青年会や青年団のようなもので、各自治区の中でも細分化されて組織されていたようです。
近所の若者達が仕事のないときや夜などに集まって話をしたり仕事をしたりするほか、年配者から風俗習慣その他の継承を受ける場所でもあったようです。