西組若衆のおいたちを年寄りに聞いてみたら、昭和49年に浦安の大祭が再開した年に西組は生まれたようだ。
浦安の大祭が一時中断する最後の年となった36年までは西組・東組という組織はなく、ではその頃の祭はどうしていたかと言うと、昔は「若い衆宿」という青年団のような組織があって、この単位で祭の準備を行っていたそうです。
神輿渡御も豊受神社の地区(猫実、自治区で言う5〜8区)の若衆宿ごとに神輿を受け持つ町会神輿渡しみたいなスタイルだったそうです。
49年に浦安の祭が復活した時には時代の流れで若い衆宿はなくなっていて、そのかわりに近所や有志の団体があちこちに出来き、お宮の祭の運営や警備にあたる組織として、西組若衆は浦安の自治区でいう7・8区を、東組連合は5・6区を受け持つ形で猫実を西と東で分けた二つの団体が生まれました。
当時、今の西組若衆は「西組連合」、東組連合は「東組」と言う名称で、西組若衆と名称変更になったのは平成8年の祭禮からです。
西組連合の頃は、七区若衆・八区若衆っていう二つの組織が集まって一緒に協力して活動していたが、平成8年に両若衆が一つになって西組若衆という組織が誕生しました。

(若い衆宿)
現在でいう青年会や青年団のようなもので、各自治区の中でも細分化されて組織されていたようです。
近所の若者達が仕事のないときや夜などに集まって話をしたり仕事をしたりするほか、年配者から風俗習慣その他の継承を受ける場所でもあったようです。